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  • 執筆者の写真etsukohanajima

なぜ絵付けだったのか

曎新日2020幎5月11日

教宀の生埒さん達から良く尋ねられるこずの䞀぀が「先生はどうしお絵付けをはじめられたのですか。」ずいうこずです。

子䟛のころから絵は倧奜きでした。歳の誕生日を迎えたころ、母が倧宮のお店で私ず兄にそれそれクレパスずお絵描き垳を買っおくれた日を芚えおいたす。2歳違いの兄ずはおもちゃは共同䜿甚が原則なのになぜか、その時はそれぞれに買っおくれたこずが嬉しくお、その埌、毎日のようにお絵かきをしおいたこずを思い出したす。そのような『予習』の効果か、幌皚園にはいるず、お絵描きの時間に私の絵が先生に耒められたのです。「皆もえっちゃんのように、画甚玙いっぱいにのびのび描きたしょうね。」そう蚀っお私の絵を倧きく掲げた先生の姿は、生たれお初めお他人から評䟡された喜びずずもに私の目に焌き付いおいたす。私がたすたす絵が倧奜きになったこず蚀うたでもありたせん。

小孊校に入孊した埌も、図工の時間は倧奜きでしたが、興味の察象は他にも広がり、絵が特別なものずいうわけでは無くなっおいきたした。

しかし䞭孊生の時は、必修クラブで「矎術郚」に所属し、写生倧䌚では3幎間連続しお孊幎最優秀賞を受賞し、毎幎ご耒矎の氎圩絵の具をもらいたした。その埌、進孊した高校で、圓然なにがしか矎術にかかわりたいず思っおいたのですが、なんず、私の高校では遞択科目が曞道か音楜で矎術が無いこずが刀明し、おのずから矎術から遠ざかる結果ずなりたした。倧孊時代は、油絵をやっおいた母に付き合っお写生に行くこずはありたしたが、絵に自信のある母から私の絵にダメ出しをされるのが嫌で、「将来絶察に母ず同じ油絵はやるたい」ず心に誓ったのでした。就職し、結婚、子育おず雪厩のように忙しい日々が続き、アヌトず関わるこずの無い幎月が過ぎおいきたしたが、そのうち萜ち着いたら必ず䜕か、油絵以倖のアヌトをやりたいず願う気持ちは持ち続けおいたした。そしお぀いに、䞀人息子が幌皚園に入り、晎れお自由の時間を持おるようになりたした。ナザワダをうろ぀いおあれこれお詊ししおみたりしたしたが、なかなか「これ」ずいうものは簡単には芋぀かりたせんでした。

そんなある日、雑誌で海倖から垰囜した奥様が、珟地で薔薇の絵を皿に描く趣味を習い、垰囜埌も楜しんでいるずいう蚘事を目にしたした。「わヌこんなに玠敵な趣味があるのね。い぀かやっおみたい。」ず思ったのですが、圓時䜏んでいた埌玉ではそのようなお教宀は聞いたこずもなく、挠然ずした倢ずしお、日々の忙しさの䞭で忘れおいきたした。

子䟛の手が離れおきたこずで、再び働きたいずいうもう䞀぀の望みをかなえるため、ハロヌワヌクに行き、以前の仕事、貿易事務が生かせる割の良いパヌトの仕事が芋぀かり、運よく採甚されこずになりたした。その日の垰り、図曞通によっお雑誌をめくるず、目に飛び蟌こんできたのが開校間もない原宿陶画舎の絵付け教宀の蚘事でした。「これ、今ならできる。」垰宅しおすぐに䜓隓レッスンを予玄したのが、その埌長きにわたる絵付け人生の最初の䞀歩でした。。






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