「心のままに、ご縁のある会に所属されてみてはいかがですか。」。これは、今まで日本の複数の絵付け団体を、会員として実際に経験してきた私の素直な意見です。
私自身は、かつて『日本ポーセリンペインターズクラブ(J.P.P.A.)』『P.A.マスタークラブ』に所属した経験がありますが、現在は『Japan Porcelain Artists’ Club、通称"JPAC"(ジェイパック)』のみに所属しています。自分の経験から言えば、いずれの団体も、所属させて頂けて本当に良かったと思います。同好の友人が増え、尊敬できる諸先輩方と交流させて頂ける機会もあり、情報交換や勉強会、展示会を通じて自分を高めることができたできたと感じます。ではなぜ二つの会は退会してしまったか。一言でいえば「会の活動にかかわれる時間の問題」でした。JPACが残ったのは、この会が、私が望むインターナショナルな組織であり、規則が柔軟で行事への参加圧力がゆるく、役員就任もあくまでも任意であり、つまり自分の絵付活動と私生活のバランスを取るうえで、一番、自分の状態に合う会であったということです。
J.P.P.A.会員であった当時、一番心に残ることは、会の活動を通じて社会貢献の一端を担えたことでした。東日本大震災の際には、「絵付け」では被災者にとってとってなんの助けにもならないと心沈む中、会から「家財一式を失った人に、せめて家に眠る未使用の食器を送りましょう。」という呼びかけがあり、大勢の会員が家にストックしていたどんぶりや大鉢、小鉢、など実用的な白磁を被災者に送り、大変喜ばれたという事がありました。個人ではとてもできなかったことです。のちに、この会の理事の一人となって働かせて頂き、少しでも会に恩返しできたことは、結果的に退会を選ばざるを得なかった私にとって、せめてもの慰めになりました。
『P.A.マスタークラブ』は意欲的に勉強会や展示会を行うクラブでした。短い間でしたが、有意義な会員生活を送らせていただきました。そして、そのような活動の中で親切にしていただいた大勢の会員の事を忘れることはありません。心残りは、在籍期間が短かったので、会に対して何の恩返しもできなかったことです。札幌での展示会の時には、どうしても出席できなかったので、展示の作業を全て現地の会員にに引き受けていただいたのに、どなたがやってくださったのかも分からずきちんとお礼をお伝え出来なかったことは今でも心残りです。
JPACは日本では一番歴史が浅いクラブで創設は2014年です。
私は2002年以降に頻繁に海外での絵付け活動に参加するようになっていきました。そして、世界各地に日本人や外国人の絵付け仲間ができたのに、そのような友達を気軽に会員としてお誘いができる会が日本に無いことを、とても残念に思うようになっていました。
そのころ、海外の絵付け大会などで知り合った日本人アーティスト数人と意気投合し、「自分たちで新しい会を作りましょう。」という話になり、怒涛の勢いで作ったのがJPACです。当然、私も創設メンバーの一人となりました。
正直、JPACが会としての体をなすまで本当に大変でした。予算も無く、会員集めから始めたので、当時のボードメンバーは何もかも持ち出しで、情熱だけで頑張りました。2016年に初代伊藤三恵子会長、2018年にトッテン里美会長の元、二回の国際大会を成功させ、やっと会としての体を成してきた時に、私は三代目会長としてバトンを渡されました。
しかしながら、私の任期はまさにコロナ禍の直撃を受けた4年間でした。2020年4月の浅草での国際大会は準備万端整えた直前に中止することになり、これは本当に残念な事でした。しかし、『災い転じて福となす』を実践し、これを機にJPAC活動、行事のオンライン化を推進する事が出来たのは大きな収穫でした。そしてコロナ禍終焉が見えてきた2022年、東京の学士会館におけるささやかな『JPAC国際エキシビション2022』を実現させて、無事に任期を終え、次期会長に決まった後藤弘子氏にバトンを渡しました。
JPACに興味を持って下さったかたは、是非私たちのお仲間に加わってみませんか。お待ちしています。https://j-pac.jimdofree.com
*2回にわたってJPAC国際エキシビションのゲストアーティストして参加して下さったFilippe Pereira氏

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