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なぜ絵付けだったのか

執筆者の写真: etsukohanajimaetsukohanajima

更新日:2024年7月3日

教室の生徒さん達から良く尋ねられることの一つが「先生はどうして絵付けをはじめられたのですか。」ということです。

子供のころから絵は大好きでした。3歳の誕生日を迎えたころ、母が大宮のお店で私と兄にそれそれクレパスとお絵描き帳を買ってくれた日を覚えています。2歳違いの兄とはおもちゃは共同使用が原則なのになぜか、その時はそれぞれに買ってくれたことが嬉しくて、その後、毎日のようにお絵かきをしていたことを思い出します。そのような『予習』の効果か、幼稚園にはいると、お絵描きの時間に私の絵が先生に褒められたのです。「皆もえっちゃんのように、画用紙いっぱいにのびのび描きましょうね。」そう言って私の絵を大きく掲げた先生の姿は、生まれて初めて他人から評価された喜びとともに私の目に焼き付いています。私がますます絵が大好きになったこと言うまでもありません。

小学校に入学した後も、図工の時間は大好きでしたが、興味の対象は他にも広がり、絵が特別なものというわけでは無くなっていきました。

しかし中学生の時は、必修クラブで「美術部」に所属し、写生大会では3年間連続して学年最優秀賞を受賞し、毎年ご褒美の水彩絵の具をもらいました。その後、進学した高校で、当然なにがしか美術にかかわりたいと思っていたのですが、なんと、私の高校では選択科目が書道か音楽で美術が無いことが判明し、おのずから美術から遠ざかる結果となりました。大学時代は、油絵をやっていた母に付き合って写生に行くことはありましたが、絵に自信のある母から私の絵にダメ出しをされるのが嫌で、「将来絶対に母と同じ油絵はやるまい」と心に誓ったのでした。就職し、結婚、子育てと雪崩のように忙しい日々が続き、アートと関わることの無い年月が過ぎていきましたが、そのうち落ち着いたら必ず何か、油絵以外のアートをやりたいと願う気持ちは持ち続けていました。そしてついに、一人息子が幼稚園に入り、晴れて自由の時間を持てるようになりました。ユザワヤをうろついてあれこれお試ししてみたりしましたが、なかなか「これ」というものは簡単には見つかりませんでした。

そんなある日、雑誌で海外から帰国した奥様が、現地で薔薇の絵を皿に描く趣味を習い、帰国後も楽しんでいるという記事を目にしました。「わーこんなに素敵な趣味があるのね。いつかやってみたい。」と思ったのですが、当時住んでいた埼玉ではそのようなお教室は聞いたこともなく、漠然とした夢として、日々の忙しさの中で忘れていきました。

子供の手が離れてきたことで、再び働きたいというもう一つの望みをかなえるため、ハローワークに行き、前職の商社での仕事、貿易事務が生かせる割の良いパートの仕事が見つかり、運よく採用されことになりました。その日の帰り、図書館によって雑誌をめくると、目に飛び込こんできたのが開校間もない原宿陶画舎の絵付け教室の記事でした。「これ、今ならできる。」帰宅してすぐに体験レッスンを予約したのが、その後長きにわたる絵付け人生の最初の一歩でした。

*国際大会ではオプショナルツアーに参加するのも楽しみの一つでした。2007年ミシガン州WOCP大会。









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